暴力表現、性暴力表現があります(詳細な描写はありません)。


やべえことになってる。

と、いうのは一目で分かった。ここはウチの裏山の中腹にあるふれあい広場。ってかただの公園なんだけど、街灯が切れてて夜は真っ暗、今日はかろうじて満月なんで月明かりで遊具が見えるけども、塾帰りにここ通る時とか変質者が息潜めてそうでマジビビんだよね、鍵をさあ、指の間から突き出して歩くわけ。何でかわかる? いざとなったらこれで相手の目ん玉かなんか刺そうってわけよ。気休めだけど。実際襲われたら、そんなことできっこないってうすうすわかってんの。みんなね。いっつも、もしかしたら殺されるかもって思いながら夜道を歩く。もしかしたらあとつけられてるかもって怖いからルートを変える。すれ違う男が襲ってくるのが怖くていきなり猛ダッシュする。で、自意識過剰(ジカジョー)って言われる。でも殺された時に責任とってくれる人なんかいないから、人の気も知らねえでテメエ死ねよって思いながら、毎回走ってんだよ。わかる?  ってかそれはどーでもよくて、いま目の前で起きてることはたぶんまさしく、うちらがいつも、どうしたって想像しちゃうようなことで、ただ違うのは、ぶっ倒れて事切れてるっぽいのが男のほうだってことだった。で、もっとびっくりなのが、尻もちついて泣きそうな顔であたし見てるのが同級生だ。いやこれはびっくりでもないか。この辺の高校なんて一つしかねーし、狙われやすい年齢だし、んでもってこんな夜遅くでも一人で帰ってこなきゃいけない理由があんのは同い年くらい。中坊はさすがに親が車出す。うちらはそろそろ受験生だから、まさしく塾帰り。 「だいじょーぶ?」  とりまなんか言わなきゃと思って声に出したけど間抜けすぎる。大丈夫なわけないじゃんね。あたしは持ってたバッグを置いて、おっかなびっくり様子を窺う。ブランコの足元に伸びてる男はスーツを着てて、顔は暗いし角度的に見えない。男の真後ろにあるブランコがまだちょっと揺れている。続いて同級生に目を移すと、彼女は一回も折ってないスカートをぎゅっと握って、くちびるをフルフルさせている。読めたね。襲われて、突き飛ばしたら、奴が転んで、頭打ったんだ。 「ってこと?」  口に出して確認したら、何度かすーはー息をしてから、同級生、もとい川崎ナナはひとつ頷いた。 「おおかた、合ってる」 「んじゃちょっと違うの?」 「ちょっとだけ」  以下、ナナによる解説。

「私、今日、塾があって、一時間くらい前に終わってね、ご飯今日用意できないって聞いてたから、外で食べてから帰ったの。それでこんな時間になって、ちょっと、怖いなって思いながら、急いで通ろうとしたら、公園で、川崎さん、って声かけられて。逃げればよかったのに、怖くて、足が動かなくて、そしたらもう一回呼ばれて、ぜったい、近付くべきじゃないのに、私公園に入っちゃった、自分でも何でかわかんない。  街灯が切れてるじゃない? 暗くて顔がよく分からなくて。でも、知ってる声な気がしたの。それで誰ですか、って聞いたら、突然、掴み掛かられて。私、きゃって叫んで、突き飛ばした。そしたら、足元に何かあったみたいで、そいつがズルッと滑って、後ろの、ブランコの柵にぶつかって。すごい音がして。そいつ、ぐええって言いながら、起きあがろうとして、起き上がったんだけど、後ろにふらついた時に足滑らせてまた転んだの。そしたら今度はブランコにゴン! ってぶつかって。ブランコが勢いよく揺れて、戻ってきて、もっかいぶつかって、それから、ずっと動かない」

「ピタゴラスイッチじゃん?」  ナナはちょっと笑った。あたしはスマホのライトをつけて、慎重ににじり寄りながら男の顔を照らしてみた。やば。コイツ物理の加藤。マジ? 「加藤先生?」ナナの声が震えている。 「うん。加藤だ、これ」あたしはドン引きした。「ヤバ」 「やばいよね」ナナは泣きそうだ。「どうしよう、私」  あたしはなんか違和感があって、首をかしげた。正体が分かったので、ナナを振り向く。 「いや、違うし」 「え?」 「ヤバいのは加藤。ナナじゃなくて」 「え……でも、先生、死んじゃった、よね」 「わかんないけどー、引くぐらい血は出てる」 「あ、先生の容態が、やばいってこと?」 「いやズレてんな。フツーに考えて、加藤がナナ襲ったのが今の状況で最ヤバでしょ」  突然加藤が動き出して、屍人みたいに襲いかかってこないかあたしは警戒してたけど(屍人ってほら、ゲームのさ。知ってる?)、それは問題なさそうだった。もしかすると息はあるかもだけど、意識戻っても動けねえな、これ。 「どうしよう、」ナナは鼻をすすった。「やっぱり、警察……」 「いやいや」あたしは遮る。「考えてみ? いっぺんで噂広まるじゃん。通報なんかしたら地獄だって」 「でも、死体……朝には見つかるよ?」  あたしはちょっとイラついた。おめーの問題じゃん? 何だよさっきから。でもすぐ、いやそりゃねーなって考え直す。ナナは今クソ最悪な思いしたばっかだし、マジメだから融通利かねえ解決策しか出てこないだけだ。つってもね……と、思ったところで、閃いた。 「穴」 「穴?」 「掘る? うち、穴あるよ」

川崎ナナはクラス委員で古文が好きな優等生。休み時間も本読んでるからマジテンプレって思いながらチラッと表紙覗いたら、『韓非子』だった。コイツ変わってんな。わかんないけどその手の読むならフツー論語とかなんじゃない? 何を思ってそれ実際に読んでみようってなったわけ? 以来あたしの中のナナは「意外と変人」なんだけど、ナナがあたしをどう思ってるかは知らない。ぶっちゃけ、今日まで喋ったことない。 「使っていいの?」  ジジイが庭いじりに使ってるスコップと運搬用の三輪車、それから納戸にあったガムテと結束バンドを持ってきたら、ナナがもじもじと待っていた。あたしは一旦、全部を積んだ三輪車を下ろし、肩を回す。 「別にいいっしょ。縛って運ぼ」 「ロープで縛るの?」 「素人だねえ」ちっちと指を振る。「まあ見てな」  あたしはぐったりした加藤をブランコの柵に立てかけて、ぐんにゃりした腕を後ろに持ってくると、両方の親指を結束バンドで止めた。三本くらい使う。マンガで読んだけどこうするだけで人って動けなくなんだって。人体の不思議ってやつ? 念のためスマホで調べてみたらなんかゆるいと外せるというので、親の仇かというくらい締めまくった。ついでにガムテも重ねる。これでいけるっしょ。  余ったバンドで足首も束ねて、二人がかりで三輪車に乗せる。これが超キツい。意識をなくした人間は重いってよく聞くけどマジだ。っつってもこれは前から知ってた。呑み潰れたパパを運ぶとき嫌というほど実感した。運ぶっつーか、引き摺る、だが。 「さて次は……」あたしはスマホのライトをつけて辺りを照らした。「あ、そーだ。血」 「すごい出てるね」声が焦っている。 「んー、どうすっか。まず物についたのは拭き取ればいいよな。ハンカチとかある?」 「あるけど、拭くだけで平気? ルミノール反応とか……」 「んなもん捜査しなきゃわかんないじゃん。死体が出なきゃ捜査もないし、ここが現場ってバレなきゃいい」 「なるほど」ナナは感銘を受けたようだ。「ミキちゃん、頭いい」 「まーね。意外と冴えてんの、あたし」  夜目にはわからないけれど土に染みたのも目立つはず。あたしはスコップで濡れた土を掘って、三輪車の中に投げ込んだ。それから辺りの土をならして適当にごまかす。一回雨が降れば何も分からなくなる。梅雨時でよかった。  その間にナナは拭き取りを終えたようだ。何度も何度も、ブランコのあたりを念入りに確認していた。ちょっとくらい血が残ってたってどうせ誰も気にしない。でもまあ、殺しちゃった張本人だし、気にもなるか。気持ちは分かる。 「うん。大丈夫。な、はず」自分に言い聞かせるように、ナナは頷いた。 「おっけ。よーし、運ぶぜー」  二人で三輪車を上げて、押し始める。重いけどそんなにキツくない。道具ってのはよくできてる。 「穴があるって、どういうこと?」  道中、ナナが訊いてきた。 「あー、なんてーか、穴候補がある? 正しくは」 「穴候補?」 「分かった。待って、最初から話すわ」  穴を掘るようになったのはだいたい四年前くらい。中一かそこらの頃だった。その頃のあたしは考えたくもねえことが山ほどあって、なのにそれを考えずにはいられなくって参ってた。頭を空っぽにしたい。けど、あたしは例えば読書なんかに熱中できるタイプじゃない。映画とかアニメ、マンガも微妙だ。元気なときは楽しめるけど、我を忘れて夢中になるほど好きなわけじゃないんだもん。ゲームもダメ。刺繍や裁縫も、嫌いじゃないけどこんなメンタルじゃ、とても集中できない。一瞬、マジで血迷って写経とかやってみようとしたけど、いちばんダメだった。イライラして放り出して、気分は悪くなる一方。  もっと単純なことがいい。何もしたくない気分でもできて、空っぽになるまでやれること。  草取りでも試してみるかって、庭に出た。その時、スコップが目についた。 「以来あたしは裏山の空き地に穴を掘るようになったわけ。自分がすっぽり埋まるくらい掘ったら、抜け出て埋め直す。その繰り返し。一回掘った穴は掘りやすくなるから、手応えなくて困るってときは別んとこにも掘る。そうやってだいたい三つか四つの穴候補が常にあんの。何度も掘り返してあるし、イチから掘るよりずっと楽」  ナナはほうっと息をついた。「発明だなあ」 「発明?」 「うん。穴を掘ると無心になれる、って発明だよ。禅だよ、禅」 「ほんとかよ? 適当言ってない?」 「適当じゃないよ。私もやろうかな」 「禅だよとか言って、ナナ禅わかんの」 「うーん……ほんとのお坊さんには、怒られそう。でも、私なりの禅で言えば、ミキちゃんのは、超、禅」  ナナなりの禅か。そういえばこいつは、倫理の時間とかもやけに前のめりにノートを取っていたっけか。アウフヘーベンだか性善説だか、ヘーゲルだかグレーテルだか知らないけど、あたしにはよく分かんなかった。マジメに聞いてたら面白いこともあったのかな。今さらだけど。 「加藤先生、重いね。なんかひょろひょろして見えたのに」  あたしは三輪車の中を見た。加藤は横向きに折り畳まれている。念のため口にガムテを貼ったが、相変わらず起きる気配はない。 「こんなもんだって。成人男性て、うちらより全然重いかんね」 「加藤先生でこんな重いなら、藤澤先生とかやばそうだね」 「藤澤かー、藤澤はなー。ちょっとうちらじゃコレあっても無理かも」 「ムッキムキだもんね」 「そだね。ムキムキ超えて、ムッキムキ」  藤澤は古文の先生だけど、体育教師の南川より体が大きくて背が高い。でも運動はさっぱりダメで、顧問をしてるのは手芸部と古典文学同好会だ。前に修学旅行のお土産でご当地キティを買ってやったら、めちゃ喜んで、スマホカバーにつけてた。けっこうかわいいやつだと思う。 「でも藤澤先生は、運ばれるようなことにならないよね」 「たぶんね。わかんないけど。まあたぶんない」 「南川先生は、あるかもしれない」 「あーね。でもアイツ熟女好きじゃん。うちらには手を出さないんじゃない?」 「おばあさんを襲って運ばれるかも」 「なる。それはある」 「おばあさん、返り討ちにできるかな?」 「んー……杖で急所狙ったらいける?」 「うまく行くかな」 「祈るっきゃないわ。ってか南川がレイプ魔だとは限んねーから」  ナナは口をつぐんだ。「そうだね」  あたしもしばらく黙った。いつもより重い三輪車の車輪が、地面に深く食い込んでいる。帰り道は足で跡を消しながら歩くか。なんにせよ、雨が降るまでバレなきゃいい。 「穴は、この奥?」  樹々に囲まれた細い道を見つめて、ナナがつぶやく。この先は山だ。  延々と続く葉闇のどこか、夜の虫が、鳴いている。

あたしの父親が死んだのは去年の十一月だった。もう半年を過ぎたってわけ。呑んだくれの親父はよく、いつか寝てる間に死んで朝には遺体になってそうだなって感じのイビキをかいていたけど、親父の死因はイビキじゃなくて、海だった。家は山の半ばにあるけど、公園を通って、町まで続く階段を降りるとその先はすぐ海だ。二車線の道路を渡ってちょっと進むと堤防に着く。うちの親父は、酔って寝て、夜中に目が覚めて起きだして、何を思ったか海へ行こうとしたらしい。それで落っこちて、朝にはぷかぷか浮いてる姿が見つかったのだ。 「酔ったときに外に出るというのは、お父様にはよくありました?」  事故の処理をした警察の人があたしに聞いた。 「まあ、割と。気づいたときは止めてましたけど。千鳥足で階段おりんの危ないじゃん、落ちたら死ぬし」  階段からの落下じゃないけどそれで実際死んだわけだから警察は言葉に困ったようだ。眉根を寄せて唸ってから、また口を開く。「君は、大丈夫?」 「は? 酒飲む歳じゃないけど」 「いや、そうじゃなくて。その、お父様が亡くなったわけだし」 「ああ。うち、じいちゃんいるし。保険とか、支援とかあるし。家事はあたしがやってたし。なんとかなると思います」  警察の人は複雑な顔で聞いていた。相変わらず眉根は寄っていたけど、その理由がちょっと変わった気もした。 「つらいときは、周りを頼ってください。友達と遊んだり、おじいちゃんと話したり、してね」  そう言い置いて警察は帰った。あたしは一応見送って、それからさっさと引き戸を閉めた。  ふつう、親が死んだりしたら、めちゃくちゃ落ち込んで泣き暮らしたり、打ちひしがれたりするもんなんだろうが、あたしは正直、親父が死んだところで特に悲しくならなかった。だって、別に家にいないし、たまにいると酔っ払ってうぜえこと言ってくるだけだし、いるといないとだったら断然、いないほうが嬉しいくらい。それに、無呼吸っぽいイビキとか、酔って徘徊とかあったから、いつか死にそうな気はしてた。それはそれであいつの天命だ。止めたところで酒飲むのやめるやつじゃなかった。好きに生きた結果はあいつが引き受けりゃいい。あたしに関係ない。  ママが死んだときのこともあたしはよく覚えていない。ってか、ママはあたし産んですぐ、体壊して死んじゃって、だからあたしは顔も覚えてない。肥立ちが悪いとかいうの? あれ。子ども産むのってどんな時代も命懸けだよね。ママのこと、あたしは全然知らないけど、あたしを産んだのはソンケーしてる。妊娠とか出産とかって知れば知るほど大変で、マジなんでこんなやばいことわざわざする気になんのかなって思う。でもママのそのパナい努力の賜物であたしは生きてるわけだし、今んとこあたしは生まれてきたことトータルでまあまあ良かったと思ってるから、感謝している。  あたしがある程度大人になるまで、家のことはじいちゃんがしてて、でかくなってからはあたしがしてる。親父が何かしようとしたことは一度もない。ちっちゃい頃はそういうもんかと思ってたけど、成長してくると、ああちげえなって分かってきて、なんであたしがコイツの食うメシ作って、コイツの食い散らかした皿洗わなきゃなんないわけって毎日キレてたけど、言って手伝うやつじゃないのは散々学んだ。ってか言ったところで、めっちゃ不機嫌になってキレ返されっし、バカバカしいでしょ、相手すんの。もうなんか関わんないってのがベストなんだよね。あたしの気分的に。  あたしはあいつを家に毎晩泊まりにくるやつと思うことにした。夜、既に酔った状態で帰ってきて、メシ食うだけ食って、遅くまでテレビ観ながらデカい声で笑って酒飲んで、朝はあたしが家出る頃に起きてくる。あたしが帰ってくると、あいつの皿とか洗濯物とか溜まってるからクソ萎える。何より嫌だったのは、酔った親父があたしの体を触ることだ。胸とか尻とか、デカくなったなとか言って、パーンと叩いてくる。あたし、何度本気でキレて、何度やめてって言ったか分かんないけど、あいつはずっとへらへらしながら怒るなよとか言うだけだった。一度も真面目に取り合わなかった。  まあ、だから、あたしには、あいつの死を悼む理由がないんだよね。今に至るまで。

さっき南川の名が出たときのナナの反応が気になって、あたしは三輪車を押しながら掘り起こす機会を待っていたけど、先に決心をしたのはナナのほうだった。思い定めたような感じで口を結び、隣のあたしに目を据えてから話しかける。 「ミキちゃん、聞きたいことがあるんだけど」 「え、なに」 「どうして、私を助けてくれるの?」  いま聞く?  あたしは答える代わりに、あきれた顔をして見せた。こんな段階になる前に聞いといたほうがよくない、それ。  ナナはちょっとたじろいだが、すぐに前のめりになった。 「だって、ミキちゃん、私と話したことあんまりないじゃない? あ、いや、私がミキちゃんと話したことがないのか」 「別に一緒じゃね? それ」 「え、少し、ニュアンスが」 「いやどっちでもいいけど。ってか逆に聞くけど、ナナはあたしがああいう状況になってるとこに出くわしてさあ、ミキとはあんま話したことないし、って素通りすんの?」 「それは……」ナナはしばし黙った。「無理かも」 「でしょ。そういうことだよ。なんてーんだ、これ」 「行きがかり上?」 「たぶんそれ。ナナ察しいいじゃん」 「たまたまだよ」  ナナは照れたように目を逸らす。この状況でその反応もけっこうすげえな。 「仲良いとかそうでもないとか関係なくね? こういうとき。仲悪かったら見殺しにしたかもしんないけど……それもねえか」 「そう?」 「ナナは違うわけ? どんなにいけすかねえヤツでも、クソみたいな目に遭ってたらクソみたいなことしたやつのほうがムカつくじゃん」 「そうかな……そうかも。ミキちゃん、カッコいいね」 「は?」 「私も、たとえ嫌いな人でも、きっと素通りはできないけど。でも、こうやって、一緒に埋めようって思えたかは分かんない。警察に行こうよ、ついてくから、とか、それくらいしか言えない気がする」  別にそれでも悪いわけじゃない。ってか、法とかなんとかの話で言えばあたしの選択のが「悪い」。肝心なのは、たぶんそんとき、世界中で一人ぼっちみたいな気分でいるんだろうやつに、別に違うって言うことだ。ねえ、うち、いるけど、って。どんなふうにそれを伝えるかは人それぞれでしょ。 「ナナはそうしたらいいじゃん」と言った。「それはそれで、助かるやつもいるよ」 「そうかな?」 「そう。あたしはさあ、教え子に夜道で襲い掛かるようなゴミ死ねばいいと思うけど、そうは思えないやつもいるじゃん。事故でも、正当防衛? でも、ちゃんと処分してほしいとかさ」 「うん……」 「っつか今さらだけどナナはいいの? 死体遺棄とかしなくたってナナって無罪だと思うけど」 「それは、」ナナは躊躇いがちに口を開き、止め、一度閉じてからまた開いた。「ミキちゃんも言ってたじゃない?」 「あん?」 「噂。広まったら地獄」  それはそうだ。たとえ進学までの二年足らずでも、そのあいだこの町で暮らす気分は最悪だろう。内申に響くとすれば、その進学も怪しくなる。 「言われて思ったよ。その通りだって。ミキちゃんは、私は悪くない、悪いのは加藤先生だってはっきり言ってくれたけど……そうは思わない人も、いるでしょ? どこにでも。きっと、たくさん」 「こんな田舎じゃ余計だろうけど。ま、どこにでもいんだろね」 「それが大勢じゃなくたって、言われたら、苦しいもん」  ナナはぽつりと言った。ナナが想像しているの、あたしにも、よくわかる。  聞いたことがあるし、見たことがある。いくらでも転がっている。ネットにも、テレビにも、身近な人の頭にも、そういうものはあって、簡単に出てくる。そういうものに出くわすたびに、石を投げつけられた気になる。今は自分に向けられてなくても、きっと自分にも向けられるって、想像がつく。 「そんなふうに思うやつばっかりじゃないって言われても、そうじゃない人たちがみんな、そういうこと言う人に、私の隣で怒ってくれるわけじゃないでしょ。だったら、知られたくない……こんな怖い思いして、そのうえ、悲しくなるくらいなら」  ナナは足を止めた。あたしも、合わせて立ち止まる。  正面にのぼる満月が、ナナの俯いた横顔を照らす。その目はしっかり三輪車を、その中の男を、見下ろしていた。 「この人が、埋まるほうがいい」  あたしはナナを見つめていた。ナナの唇が、また震えてる。

ナナの家のことは知らないが、なんとなくの想像はつく。品行方正な優等生。大人しくってマジメ、校則違反もしない。なんせスカートを一回も折っていないのだからお察しだ。もちろんリボンも伸ばしてないし(うちの制服にはボタンで襟に留めるタイプのリボンがあるが、シャツの胸元を開けたいうちらはわざわざ延長用のゴム紐を作ってリボンにつなげて垂れ下げている)、買い食いや通学時の寄り道もしてる気配がない。本人の性格もあろうが、前にちらっと耳にしたところ門限も鬼早だ。その割にこんな夜遅くまで塾行ってるのはアリなんだから、推して知るべし、って感じ。  ナナはたぶん、家族にも、「そういう言葉」を向けられるって思ったんじゃないだろうか。勝手に勘違いして、いきなり襲ったやつにじゃなく、ナナに「こんな面倒を起こして」と思うような家なんじゃないか。でもこれはうちの想像で、実際そんなことないのかもしれない。理解があってまともで、子どもを優先する親を、うちが想像できないだけで、ナナの家は違うかも。  とか思ってたがやっぱり世の中予想通りだった。 「なにしてんの?」  穴のある空き地に着いて一旦休憩していると、ナナがスマホを取り出して難しい顔で画面を見た。それで声をかけたら、ナナは画面を切りながら、 「連絡。来てるかなって」と言った。 「連絡? 家?」 「うん。ママから……」声に不安が滲んでいる。「聞かれる前に口実、送っとかないと」 「門限破ったら、やっぱキレんの?」 「うん……」ナナは浅く頷いた。「キレるっていうか……」  あたしは首を傾げてから、思い出して背後を振り向いた。加藤を乗せた三輪車はストッパーをかけて止めてあるが、中の加藤が起きた気配はない。 「具体的に何か、禁じられるとかじゃないんだけど」ナナが呟いて、あたしは顔を戻した。「うーん、なんだろ。嫌味みたいなこと言われるんだよね」 「嫌味?」 「こんな時間まで何してたのかしら、とか」言葉を切って躊躇ったあと、ナナは思い切るように、口調を真似て続けた。 「『まあ、私には、外であなたが何してるかなんてわかるはずもないからね』。『友達と会うって言うけど、ほんとは誰と会ってたのやら』。『いいけど、お小遣いが足りないなら、そう言ってね。贅沢したい年頃でしょうし』……」 「最後の何?」  顔がめいっぱい歪む。 「なんていうか……隠れて小遣い稼ぎしないでね、みたいな。そういう意味かなって。ほら……」ナナは目を伏せた。「最近は、なんていうの? あの……パパ活だっけ。そういうの、あるから」  あたしの顔は限界を超えた。 「何それ。サイアクなんだけど? 殴れよそんなやつ」 「ええ? ママを? 殴れないよ」 「それってー、ナナがパパ活するとか疑ってるってこと? マジでキモい」 「どうだろ……心配してる、のかも」 「絶対違うわ。心配してんならもうちょいマシな言い方すんだろ。フツーにさ」  ナナは黙ってしまった。伏せたまつ毛が、マスカラもないのに長くカーブしている。格差社会だわ。 「正直、」  ナナは自分のローファーを見つめた。爪先に土がついている。 「苦しい、かな。それに、悲しい。なんか、いっつも、信用されてないみたい。……気を抜けば、そういうことをするって、決めつけられてるみたいで」  あたしは、深く息を吐いた。脱力ってやつだ。で、少し考える。 「遅くなる理由ありゃいんだろ?」  聞くと、ナナは頷いた。あたしは目をめぐらせる。 「ナナってさあ、バスで塾行ってる?」 「うん。今日もバスに乗ってきた」 「ハーン。あれだよな、一、二時間ごまかせりゃいいよな」 「うん……」 「じゃ、スマホ、落としたって言えば。メシ食って、一回こっちまで帰ったときに気づいて、慌てて戻ったって。したらバスの時間的にぜってー二時間近くかかるだろ? 一時間に一本しか来ねーんだから」 「そうだね、」ナナは自分でも計算してみたようだ。「バスが片道、三十分だから、少なくとも九十分くらいは疑われないかも。携帯探す時間もあるし」  ってことは、ここの最寄りじゃなくて、何駅か先のでかい塾に通ってんのね。さすが優等生。 「じゃそれで行けよ。いまスマホ見つけて連絡したっていえば、黙ってたことの説明になるし」  何の気なしに言うと、ナナは目を輝かせた。 「そっか……! そこまで考えてなかった」 「なに?」 「頭いいなあ。私、トロいのかなあ」 「は? 知らねえし。マジメチャンなだけっしょ」  あたしはまた顔をしかめて答える。回路があるかないかって話で、頭がいいとか悪いとかの話じゃないと思うけど、わざわざ言ってやるつもりはない。 「それでいこっと。作戦、借りるね」  ナナは嬉しそうに言ってスマホを開いた。借りるってことはいつか返してくれるわけ? 言わないけど。 「どの穴にすっか……」  あたしはスコップを突き刺して、その柄の上、ハンドルの部分に肘をついた。体重をかけながら、夜目に慣れた深い森を眺める。ナナもうすうす分かってるんだろう。自分が何を言ったって母は嫌味を言うのだと。たぶん、本気でナナのこと疑っているんじゃなくて、嫌味を言うのが目的だから。言われて、ナナがどう思うか、そっちが狙いだから。  気色わりい。  雨も降っていないのに、空気がじっとり湿ってる。うなじを流れていくものが、汗か違うのか、わからない。