沢霧と蔵未。たぶん大学生なふたりのなんてことない話です。
「オススメの本教えてよ」 この台詞が、すごく嫌いだ。 夜のサイゼリヤ。造り付けの二人掛けソファの中央に陣取って、沢霧はカルボナーラを巻き取っている。俺は片眉をしかめて、無言のままハンバーグを頬張る。 呑み込んで、答えた。「なんで」 「なんでって。蔵未、読書家じゃん」 「だからってなんでお前に本なんか薦めんの」 「は? どゆ意味? 前は薦めてきたじゃん」 「お前が訊いてきたからだろ」 最初から分かりきっていた。彼は本を読まない。そもそも、文字を読むということ自体あまり好きではないらしい。なのにオススメの本なんて訊いてくるのは結局のところ、俺に対する歩み寄りだ。本当に興味があるんじゃなくて、——ただ、「お前の好きなものを、俺は一応気に留めてますよ」という、目配せ。友好的な態度。由来を思えばありがたく感じて然るべきだろうが、俺には腹立たしい。好きでもないのに、利用しやがって。 こちらがどんな思い入れで、どんな風にそれに縋って生きてきたかは関係ない。彼にかかれば俺の読書歴はコミュニケーションツールの一つで、ただその場の会話を円滑に回すためだけに使われるものだ。それが、俺には、馬鹿にされたようで、どうも苛立つ。つい、語調が尖る。 「お前に教えて何になんの? どうせ読まねえくせに」 彼が黙った。俺はもう一口、ハンバーグを含み、咀嚼する。無言のうちにジワジワと罪悪感が滲みてくる。値段に比して旨みのある挽肉の、肉汁の中に。 「何で決めつけんの?」 静かな返答に、目を挙げた。沢霧の表情(カオ)は凪いでいて、感情が分からない。 「は?」 「だから、何で決めてんのって。俺が読まねえって」 「……読まないだろ?」 すると沢霧は、口を閉じたまま傍らのバックパックに手をかけ、ジッパーを下ろした。スカスカの内部に一冊、単行本が見える。 沢霧はそれを引き抜くと俺に突き出した。 「読んだけど」 俺は、呆気に取られ、受け取る。サミュエル・ベケット。『いざ最悪の方へ』。 「……お前が?」 「ワケ分かんねーの薦めやがって。二回読んだけどイミフだったわ」 「そりゃ……」表紙を確かめる。「そうだろうな」 「何で急にこれなワケ? 前のはけっこう面白かったじゃん」
続いた台詞にまた、弾かれたように顎が上がった。沢霧はぶすくれた顔のままでいる。
「何?」 「……前のも、読んだの」 「は? 読んでほしいから薦めてんじゃないワケ? さっきから何言ってんだよ」 呆れたような、突き放すような、——それでいて冷たくもない声で、彼は言う。 「お前が今まで薦めてきたの、全部、俺は、読んでんだけど」 俺は彼を見つめて、黙った。何を言うべきか分からない。 ずいぶんな間を空けて、ようやく口を開いた。 「……あ、そう」 「そんだけ? なんか俺、濡れ衣着せられた気がすんだけど?」 「……日頃の行いだろ」 謝罪の代わりにそんな言葉が出て、自分自身に溜息を吐きながら本を突き返す。沢霧は受け取ると、元の通りにバックパックにしまった。 「だから、次。教えてよ」 動きが止まる。俺が固まっている間にも、沢霧は平気な顔でカルボナーラを頬張っている。彼が最後の一巻きを巻き終えたその時に、俺は答えた。 「『重力の虹』」 彼の手が止まると同時、俺は手を動かし始める。——読めるもんなら、読んでみろよ。
2023.03.23:ソヨゴ
Misskey.designにて公開。