たなかさんのキャラクター、花表はやてくんをお借りしています。 昭和初期ごろの設定で、 架空の文豪・桐堂葉市が新聞連載しているエッセイというていのお話。
[前編]
私の家には偶(たま)に猫が来る。その猫は奇妙な事に必ず呼び鈴を鳴らし、時には手土産を持って現れ、また必ず靴を履いている。猫は摩訶不思議な事に私より背丈が高く、ミルクを混ぜた紅茶の様な髪で、透き通った河の水底を掬った様な目の色をしている。その猫は私のことを孝一さんと呼び(読者諸君はあまり知らぬと思うが私の本名は蔵未孝一と云う)、家に上がるたび菓子をせしめていく。この猫を仮にH君と呼ぼう。 H君は十八かそこらの青年である。以前何か劇の打ち上げの場に、或る作家が彼を伴ってきた。今後書き記される話は甚だ氏の名誉を毀損するに違いないから、——違いないと知って私は書くのだが——ここは匿名の意でX氏としておく。兎に角、H君はX氏の飼い猫である。 H君は抑(そもそ)も猫である故、非常な気紛れで、またひとところに留まるということを知らぬ訳だが、X氏はこの麗しい仔猫が余所へ行くことが恐ろしくてならぬ。いつ帰るとも云わず、ふらりと擦り抜けて居なくなってしまい、今度こそ竟(つい)に我が許には還らぬのではなかろうかと怯えて打ち震えるしかない。仔猫は飼い主の煩悶なんぞはお構いなしに気儘をしている。私の家に偶に来るのも、要は彼の暇潰しだ。 「孝一さん。」彼は急に呼び鈴を鳴らすとニッコリ笑って云う。「来ちゃいました。」 来ちゃいました、ではない。私は大抵締切という名の慈悲なき獄卒に追われ通しで、予告も無しに訪問されても迷惑極まりない。が、私は私で書斎に居てもどうせ筆なぞ動かないから、H君の相手をしたとて畢竟進捗に変わりないのだった。そんな訳で、私はいつも彼を家に上げる。 そう云えばH君は、他の家人のない時を狙い澄まして来るようだ。 居間に上がるとH君は我が家(いえ)の様にゴロリと転がり、私がお茶と菓子を出すのを黙って見ている。H君は私よりうんと歳下であるからして、少しは私を敬ってもいいものと思うが、其の気配はない。因(もと)より猫がそんなことをする道理もない。 H君は、暫くご機嫌に菓子を食べているが、軈(やが)て大抵暇になって、物書きをしている私を覗く。 「先生、何を書いてるんです?」 「詰まらない話だ」 「またそんな」 「本当の事だよ」 私の書く物は、八割方が私の気に入る物でないのだ。其れなりの愛着のある話なんぞ二割に満たぬ。胸を張ってさあお読みくださいと宣える話は数える程だ。こういう事を云うと、私の話を愉しく読んでいる読者に申し訳ない気もするが、とは云えそれが偽らざる処であるから受け容れてほしい。私の話はほんの慰めに使ってくれればそれで良い。 さて、ちっとも埋まらぬ原稿用紙をH君は頰杖突いて、然程興味も無さそうに眺める。それでそのうちに、退屈凌ぎに質問をして来る。さながら猫じゃらしを突(つつ)くが如くだが、仮にも仕事中の私はいい迷惑だ。 「先生の話、モデルはいるんですか」 「物によりけりだね。元がある事もあるし、ない事も無論ある。ほんの数行の新聞記事を好きに膨らませて書いた話もありゃ、街で見かけた人を勝手に主人公に見立てもするし、全く何も無しの思いつきで書く事もあるさ。それがどうかしたかい」 するとH君は文机の脇に転がり、私を下から見上げながら、「うちのセンセは僕を書くよ」と云う。 「だろうね」と私は答えた。H君と会って暫くすると、X氏の話には同じ様な顔の青年が毎度現れる様になった。話も同じ筋の繰り返しだ。 「孝一さんは、僕をモデルにしないの?」 私は傍らに寝そべる仔猫を凝(じ)っと見詰めた。西洋じみた、色素の薄い肌の、何処か冷気を帯びて澄んだ顔立ち。しなやかな仕草で人を誘い、その癖するりと手の中を避けて、関わる者悉く狂わす魔性の美男子——となれば当然私好みのモチイフのはずだがどうも食指が動かず、其れが自分にも不可解であった。理由を黙って考えるうちに私は突然はっとした。原稿用紙にやおら目を戻す。 「いいや。君には余地がない」 「ええ、」H君は落胆(がっかり)した様な、拗ねた様な口振りで返す。「余地がないってなんです。魅力が無いって事?」 「違うよ。君は君自身が愉快で、話を膨らます余白がないのだ」 私は詰まるところ、狭い蔵の中で、膝を抱えて目を閉じては空想の中に遊んだ記憶の儘で物を書いている。ほんの小さな切っ掛けの方が良いのだ。あまり出来すぎていると、私の貧困な想像力では新たな話が出てこない。H君はH君自身が大層眩く愉快であるから、H君を話の中に置いても其れは只のH君であり、他に何が出てくるでもない、それで書く気が起きなかった(けれどもつまりそういう訳で、私は《エッセイ》の形であれば君を書けもするが、狡いかね?)。 H君は私の返事にきょとんとした後、けらけらと笑った。 「僕が先生の話より面白いとは思わないけどなあ」 「下手なおべっかはよしなさい。次来たときお菓子をあげないよ」 「おべっかじゃないですよ。僕、先生のこの前の御本、ちゃんと自分で買ったんですから」 私は少々吃驚(びっくり)した。H君がそんな事をするとは。どうせ単なる気紛れであろうが、献本くらい幾らでもあるから、好きに持って行けば良かったものを。併しあるいは書店で知り合いの本を買うのが愉快だったのか。恐らく余計なお世話なのだろう。 私とH君との関わりは大方この様なものであるが、本題はまた別である。字数が足らぬので、次に書こう。
[後編]
夏も半ばを折り返し、蜩が密かに翅を震わせ始めた頃である。昼下がり、私が居間で葛切りを頂いていると、突然呼び鈴がリンと鳴った。誰かしらんと戸口を向けば、続け様にもう一度鳴る。余程急いでいるものと見える。 それで私は只今と云って玄関へと駆け付けたが、果たして引き戸の磨りガラス越しに見える人影は、カンカン帽を被り、ステッキを苛立たしげに前後させている。随分な揺らし様である。面白くてつい観察してしまい、するとまたしても呼び鈴が鳴り、慌てて戸を開けた。 「葉市(よういち)。」人影はX氏であった。「報せも無しに相済まん。上がっていいか。」 「構わんが。どうしたんだい。」 そう聞く私の横を擦り抜け、X氏は下駄を脱ぎ散らかして玄関をどたどたと走る。後からゆったり追いかけると、X氏はどうも家の襖を逐一開けて回っている。それで大方事情が読めた。 「葉市、」軈(やが)て居間まで戻って来た彼は私の両腕に縋り付くのだった。いつのまにやらカンカン帽が外れている。「Hを知らんか。」 「僕の処には来てないよ。また何処か出掛けたんじゃないかい。」 さて、葉市とは云わずもがな私の筆名であるが、先の話に出した本名とかする処も無い事が気にかかる読者も居るやも知れぬ。私の父母は私が三つの頃にいけなくなって結婚が破綻し、母は私を連れ家を出たが、その後の母との生活はあまり愉しい物でなかった。父母の結婚の破綻について、責が有るのはどう見ても別れた父の方であったが、そんな暮らしのさなかであるから私は居ぬ父を恋しがり続けた。暫くして、雅号を得るに至り私は父の苗字を拝借し、桐堂(とうどう)葉市としたのである。父の姓は桐葉(きりは)であった。 「五日も帰って来ないのだ。私の許を去る気かもしれない。」X氏は額に脂汗を浮べている。それがどのくらい深刻な事か私にはよく判らない。 「此度の気紛れは長いんだねえ。」云うと、X氏は目を剥いた。 「人の気も知らないで! 私は死ぬる程辛いのだ。」 X氏は悲痛を訴えたが、此方(こちら)は知った事ではない。折角のんびり葛切りを食していたのに中座させられ、私は些か気を損ねていた。抑(そもそ)も人の家を勝手に詮索する様な真似をして、無礼ではないか。 「如何(どう)して。何時(いつ)もの様に帰りを待ってやったらいいだろう」 少しく素っ気なく云うと、X氏は急に悄気(しょげ)かえり、ガックリと項垂れてしまう。 「こんなに長く空けた事はなかった。」ようやっと私の腕を放し、その手を頭へやって搔き毟る。「臆(ああ)、あの子は到頭僕に飽き切ってしまったやも知れぬ。この頃外出が頻繁で……。」 成る程当人は地獄の苦しみであろうが、傍(はた)は全く無風であるから、幾らその内で大時化の如き激しい渦が巻いていようと此方は感得するに能わぬ。よってX氏の苦悶煩悶は舗装路の上に溺れ喘ぐが如くで、見ていて一向に同情が湧かぬ。竟(つい)にX氏は頭を搔き毟る手を顔の前へと持って来て、おいおいと泣くから堪らない。 「やめたまえよ、いい歳をして。」 「僕にはあの子が必要なのだ。あの子が傍(そば)に居なくては、僕は一行だって書けはしない。」 私は氏がH君に出逢うまえ書いた話の方が断然好みである。自由で猥雑で、勝手で無茶苦茶な話であったが、その煮え滾る熱湯のような全くみっともない劣情が倫理道徳を踏み荒らす様を私は愛でていた。だから、一層のこと此の儘手放し、少し中毒を抜いたらどうだと云いたくなったが、今それを云えば、X氏の情緒は果たして如何(いか)にと思うと何も云えないのだった。それにしても十も二十も歳の離れた少年を慕いおいおいと泣く中年男の情けない事この上がなく、私はいい加減うんざりもし、若干腹が立ちもした。 「X君。」私は氏の肩に両の手を置いて言い聞かせる様に、「何、書けないという事はあるまい。姿を想って書いたらいい。手許にそれが無くとも我々は洋墨(インク)に載せて写せる稼業でなかったか。」などと、臭い事を吐いた。 併しX氏は泣くばかりであった。「駄目なのだ。彼が傍に居ないと、僕は不安と恐慌で荒れ狂い、何も手に付かない。こんな風に君の家まで押し掛けて来て泣く始末。臆……。」 重篤である。私はX氏の有り様に甚だ呆れながら、一方で、一人の男をここまで情けなくするH君の魔性に天晴れを云いたくなった。傑物なり。矢張私にはH君をミュウズとする事は出来そうにない。彼以上に愉快な話が彼から出てくる気がしない。 X氏の美少年趣味はよくよく存じているが、併し、H君が幾ら稀有であっても、世の中には他にも様々、数多く美男が居るのだから、何もこの世の終りの如く嘆かんでも良いだろう。そう思った私はぞんざいになって、少しまずい事を云ってしまった。 「美男を傍に見たいと云うなら、どうだい。暫くうちに居て、眺めて行ったらいいじゃないか。三青君でも、僕でもさ。偶に某社のS君も来る。藝術的インスピレイションの源とやらに事欠かんだろう。」 するとX氏は、何か憑物の落ちた様にはっと顔を上げ、私の両肩を摑むと、詰め寄って食い入る様に見つめて来た。私は思わず一歩蹌踉(よろ)めく。 「そう、……云われてみればだね。無論H君には敵うまいが、君の家には如何も美男が揃っている。彼の不在の間、お邪魔させて貰ってせめてもの慰めを得てみようかしらん。さすれば僕の心中の嵐も少しは風が止むかも知れぬ」 しまった。失敗(しくじり)をやった。これでは、H君が帰って来るまでX氏が居着いてしまうじゃないか——だが云い出した手前拒む事もならず、X氏は二、三日私の家に居座って行った。私や三青君やをモデルに幾ばくか書いた様である。読みたいとは思わないが、読んだ諸君がモデルについて勘付かぬ事を祈っている。幸いにしてS君はその間(かん)家に来ず難を逃れた。巻き込んでやりたかったのだが、妙に悪運の強い男だ。
消えた時と同じくふらり帰って来たH君に、私はX氏の操縦を上手くするよう苦言した。そのお蔭か否か知らぬが、以後X氏が取り乱し家に押しかけて来る事はなかった。 全体、野良猫を飼うと云うのが道理の通らぬ話なのである。野に生きる気儘な彼らのその奔放を愛でるなら、当然閉じ込めておける筈は無い。野良猫の美しさとはその生き様に宿るのであり、野良の野良たる所以を勝手で捻じ曲げる事は摂理に反する。第一、傲慢である。 とは云え、この話、こうして新聞の紙面に載せて構わぬ物では無いに決まっている。けれども私はこの外に書ける話を一つも持たず、従って先の一件でX氏ならびにH君から被った迷惑の代償とさせていただきたい。X氏は恨むなら、氏自身とH君とに留め、私の事はどうか寛大な心で見逃してほしい。多分、そんな都合の良い運びにはならないであろう。許しておくれ。
2020年10月3日に発表。