昭和初期ごろの設定で、  架空の文豪・桐堂葉市が新聞連載しているエッセイというていのお話。  作中に登場する「U君」=魚住綾(うおずみ-りょう)氏は、  ぎょにくさんを『甘味百景』の世界観でキャラ化した人物です。


先生はここ数日、珍しく風邪をお引きになり、寝間の布団に籠っては原稿用紙に見ぬふりをしている。この具合ではとてもじゃないが書けやしないと仰るのだが、風邪そのものは真正として、文机に向かえぬ程というのはいささか誇張のようである。とはいえ、担当のS氏は頗る心配性の人であるから、内心幾許(いくばく)か疑っていても先生の言をお信じになり、では今週は休んでよいと沙汰をなさった。しかしながら、先生の連載のぶん紙幅は余ってしまう訳で、そこに何を持ってきたらよいかという問題になる。そういう次第で、私が書くことになった。  申し遅れたが私は三青俊、桐堂先生のお屋敷で書生をしている俳人である。普段は句を作ってばかりで散文を書くこともないが、偶には先生のお役に立つこともせねばならない。一方で、私は先生の仮病をほんの微かに疑ぐっているので、空いた紙幅を埋める中味は先生の話にしてやろうと思う。先生も私の話を好きに書いたゆえ、お互い様だ。  今から話すのは、この前の秋の頃の事だが、先生はその日懇意の画家の来訪を受けたのであった。画家は以前に先生の著作の表紙絵を手掛け、爾来交流が続いているが、今回は先生に倣い、その画家のことを「U君」と呼ぼう。    諸君。もし貴方の家の戸にU君が立つとしたらば、U君の来訪に気づくためには注意が要る。まずもって訪いのこえはか細く、羽音の如しである。そしてまた戸を叩く音の微かなること風のささやきである。普通に居間に座っていてはとてもじゃないが聞き分けられぬ。けれども世の中には不思議と気のつく人もいるもので、我が家だとチヨ殿が先触れもなく「はあい」と応え、当然のように廊下へ立つ。私にしろ、先生にしろ、訪問に気づいた試しはない。 「お邪魔いたします」  居間へ連れられてきたU君は高い声を細く絞って、まるで大気に自身の声を震わせるのは憚られるとばかり遠慮しいしい、挨拶をすると、チヨ殿に世話されるまま卓の座布団にちょこんと座る。凄まじい猫背で、小さな体をさらに丸めているが、緊張をしているのかと思うと、どうも裏腹に油断しているような気もする。そんな具合で、いつの間にか居間に納まっている。 「ご無沙汰だね。こちらから便りもせずに、失礼した」  先生が云った。U君は細く笑んだ目と、きゅっと合わせた口元のまま首をふりふり、 「いえ……いえ……」  と云う。傍目にはそれが可笑しい。  先生は偏屈で気難しい処がお有りだが(しかしまた他方で、人に対するのにどこか臆病な節もお有りであるが)、U君への受け応えには思い遣りが感ぜられる。妙な云い方かも知れないが、U君が怯えて縮こまらぬよう、そうっと接してらっしゃる風情で、それは先生の怖じ気ではなく好意がゆえでないかと思う。要するに、先生はU君が気に入っているので、特に意識をしなくとも優しいお声になるのである。

先生は、好きと嫌いのはっきりとした人である。好く事には理由があるが、嫌う際には理由はない。用事の分からぬ訪問を歓迎しているくらいだから、先生がU君を好いているのは間違いないが、その理由について私は思い至らぬところがある。無論、U君の人柄は良い。性向穏やかで気が優しい。しかし先生の好き嫌いは、気立ての良い悪いとはてんで別のところで決まる。U君が良い人だからといって、好かれる訳ではない筈である。あるいは先生は、才能人がお好きだから、U君の画才に一目置いて肩を持っておられるのだろうか。  U君の画業といえばやはり美人画だ。それも、世には中々珍しい青年の美人画である。作品はどれも肉感的で艶めかしく、溢れんばかりの生気ゆえ、触れれば指が湿りそうだ。一度、三越の催事場にて拝見した事があるが、作品から氏の佇まいを見出すことは困難であった。氏の作品の、匂い立つような生々しさが、竈の隅に棲む妖精めいた氏の姿とは重ならない。  U君が表紙を手掛けた先生の御本を私は持っている。先生の、怪奇と幻想渦巻く濃艶な世界に、氏の画は合っていた。先生も美しい青年がお好きであるし、ひょっとするとお二人は趣味が似ているのやも知れない。

うち黙ったままそんな失敬を考えながら私は茶を啜り、堅焼きを頬張った。ぐっと歯に力を込めねばとても割れない。口に含むと、小麦の香りとほのかな甘みが実に素朴で柔らかい。無論、U君の手土産である。 「あの」U君はそう発すると、繋ぎの言葉を細く漏らして、「今日は、折り入ってご相談が……」  と云う。先生はうんと頷き、湯呑みを持ったまま耳を傾ける。 「あの」とまたU君は云い、「失礼な事のような気もして、どうも、云っていいものか、お気を悪くされるんでないか、心配で、ずっと悩んでいましたのですが」 「うん。いいよ。とにかく、云ってみなさい」  先生の促しに、U君は深く息を吸った。吸って、吐くのを二度繰り返し、そこで初めて膝の上の手をぎゅっと握った。 「あの、差し支えなくば……描かせていただきたいのです。その、あのう……先生を」  成程。私はチヨ殿の淹れた玉露への感嘆に誤魔化し、ほうと息を吐いた。  先生のかんばせについては、ご存じの方も多かろう。今さら私が云うまでもないが実に端整な見目である。青年の美人画を専らとする絵師ならば、唆られるのも然りだが、しかし美人画であればこそ差障りも生じてくる。描かれる事にはただでさえ、相応の負担が掛かる。それが美しき者として、つまり人々の賞翫(しょうがん)の対象としてという事になれば、当人は余計に磨り減らされる。まずその様な目で以て描かれる自体が毒である。  先生は此の辺り、よくご存じの筈である。先生もまた芸術家であり、謂わば日頃から此の罪悪の加害者でいらっしゃるのだ。  さて、先生の顔を見てみると、まさしく面食らっていた。不意を突かれたには違いないが、とは云え先生がまるで予期していなかった訳はなかろう。己がU君の画題に足ると知らぬ先生ではない。私は膝を崩し、成り行きを見守る姿勢を取った。すなわち少しく身を引いて、野次馬の距離を取ったのである。 「そう……」先生はそっと口を開いた。「私をね……」 「はい……」U君はすっかり恐縮して居る。「勿論、障りが無ければで……」 「障りが無い筈はなかろう」  先生はするりと応え、卓の堅焼きを摘んだ。 「要するに、当然ある障りと、他の彼是、例えば、私の、君への情やら信頼やら、君の才への感服やらと照らし合わせて如何(どう)であるか、問題は天秤の吊合いにあるのじゃないのかね。はて——」  そうして、伏し目に堅焼きを齧る。秋の陽が低く差し込んで、先生の顔を照らしている。  私も、U君も、凝っと先生を見ていた。私などは毎日同じ屋根の下に寝起きしているので、先生の尊顔も大方見慣れてはきたが、こうした機会が訪れると矢張はッとするものである。夏の其れより淡い陽が、先生の彫りに沿い肌へ妙なる陰を落とし、私は改めての感慨に密かに胸を搏たれていた。こうなって来ると私はどうもU君に加勢したくなり、是非ともU君の描く先生が見てみたい、と願ってしまう。もしかすると先生の云う「天秤の吊合い」とやらも、畢竟、己の欲望と、浮世の憂鬱の相剋で、つまりは氏の新たな画業を眼に入れたい欲求と、世俗の細々した差障り、その綱引きと云うことかも知れぬ。  ぱきり、さくり、と先生の、咀嚼が静かに響いていた。静かに、ゆっくり味わって、先生は堅焼きを呑み込む。 「作品を——」先生は云った。「世に、出さずに居られるかい。君と私の目のほかに、入れぬということは」 「はい」返事は早かった。「勿論です。私の部屋に、後生大事に仕舞っておきます」  U君の物言いに、ようやく先生は頰笑んだ。まだ温かい湯呑みを掴み、 「何時迄も、という訳でない。私が逝っちまったなら、後はあなたの好きにしなさい」 「先生」野暮と思いつつ、私は云わずに居られなかった。「完成した暁には、私も一眼、見たいのですが」  すると先生は顔をしかめた。私は何食わぬ顔のまま、 「U君とて今後また気紛れを起こすかも知れない。私の顔を描きたくなる日が来るかも知れぬではないですか」 「それはもう——」U君がぼそりと云う。 「仮に、私が描かれた時は、先生は見ても構いません。先生が描かれた物を、私に見せてくださるンなら」  先生の渋面が、一段と深まった。言下に断るつもりにはならなかったのか、眉間に皺寄せ、私の不躾な提案を吟味しているようである。半分、面白くなって見ていると、やがて先生は深い溜息を吐かれた。そうして、 「お前、今云ったこと、よくよく憶えておきなさいよ」  と、仰った。人の事は云えぬが、つくづく欲に弱い御仁だ。 「二言はありませんよ。Uさんも、どうぞ憶えておいてください」  水を向けるとU君は頷き、ほんのり期待を含んだ瞳で私を見た。背に腹はかえられぬ。U君が本気で私を描きたくなると云う事があれば、私は断る訳にいかない。まあしかし、真にそんな日が訪れるかは知れぬのだから、賭けとしては悪くない。 「そしたら、どうすればいいんだい」  先生の呟きに、U君は慌てた様子で背負って来た布鞄を開くと、中から色々の画材を取り出した。鉛筆だけで随分な種類が揃っている。 「でしたら、あの、早速……どこかお部屋で……」  それなら、と先生は書斎へ行く事にしたようだ。立ち上がって廊下へ去り際、私を振り返り、ひとこと添える。 「お前、全部食べてしまうんじゃないよ」  成程、堅焼きを少しばかりは残しておけとお達しである。私は神妙に頭を下げた。先生は、よく分かってらっしゃる。  もし言い置かれなかったら、すっかり食べてしまう気で居たのだ。

U君の絵はとっくに完成したらしいが、今は氏の家にあるとかで、私はまだお目にかかっていない。あらかた出来上がったとき先生はご覧になったそうだが(それはその筈で、下書きの後の塗りの際にも先生を見ながら描いていたので)、氏が自宅へ引き取って細部を仕上げたその後は確かめていないと云う。近々、見に行く事がある筈で、その際は私も呼んでもらえるだろう。此処で誤魔化すと、私が臍を曲げて厄介な事になるのを、先生はご存じだ。  一先ず、以上が今回のお話である。慣れない散文で、お見苦しい処があったかと存ずるが、何せ私は代理であるので先生並みを求められても困る。様々、大目に見ていただき、此処らで筆を擱かせてもらおう。私は、甘やかされて育った。根っから甘えた性格なので、貴方がたにも甘やかしていただければ幸いである。


2023.10.18.:ソヨゴ ぎょにくさんのお誕生日祝いで書きました。お誕生日おめでとう!