駄馬(だば)を買ってしまった。運搬用の馬というのでなく、駄犬と同じ意味での「駄馬」だ。荷を負うだけなら賢さなど必要ないと思っていたが、とんだ計算違いだった。この馬を買う時、馬売りは銭を受け取る手をちゃっかりと差し出しながら「本当にバカですぜ」と言ったが、馬というのは元来、頭のいい生き物であるし、せいぜい……という気持ちがあった。甘い見通しだったらしい。  この駄馬、なるほどこうして見ると面構えからして不安である。馬というのはどこか、世を透徹したような思慮深い目をしているものだが、この馬の目は妙にボンヤリして明後日の方を見ている気がする。やたら涎が多いのも気になる。なんというか常に気がそぞろで、ニンジンを口元へやってもしばらく気づかぬ始末なのだ。そんな具合でぼうっとしているから荷を負わせるのはやりやすいが、かと思うと急に走り出し、そしてまた急に立ち止まる。そんな挙動をされてしまっては荷は何もかも振り落とされる。運んでは落とされ、落とされては追いかけを繰り返すうち、この馬を使っていては地球滅亡まで目的地に辿り着けないと理解した。かと言って我が身に背負うのは無理な話だ。大人しく連れ立って、歩いてくれるだけでいいのに——

途方に暮れ、石に腰掛ける。見渡す限りの荒野には砂と枯れ草しか見えない。日も暮れかけていて、そろそろ寒風が革の上着の隙間に入り込んでくる。ひたひたと、冷たい夜がくるのだ。こうなる前に宿屋には着ける見込みだったのだが。  仕方なし、枝を探しに出る。馬の手綱は岩へゆわえつけ、しばらく周辺を探る。いくつか見繕って組み上げ、火打ち石を叩く。夜の湿気のせいかなかなか火がつかない。それでも、やがてついた。  背を丸め、寒さに身震いしながら火をつける飼い主を駄馬は他人事のように眺めていたが、周囲が暖まってくると現金にも身を起こし、火にあたりに来た。駄馬とはいえ、やはり獣の温かさは共通である。勝手なやつめと思いながらも寄り添っていると腹が減ってきた。ポケットを探るが、萎びたジャーキーしかない。  まあ、いい。これで誤魔化して、明日はとにかく歩くことにしよう。なんとかして方法を探し、次の街へと辿り着かねばならない。また一日をふいにしていてはさすがに倒れる——ジャーキーに齧り付こうとした時、隣に強い視線を感じた。  そっと見る。もちろん駄馬が、こちらをじっと見つめている。  しかし、妙だ。彼の黒い目に、ほむらの明かりが映り込み、その濡れたような艶はどこか澄み渡っている。昼間とは違い、彼の目は確かな意志を持ってこちらを見据えている気がする——なんというか、こちらを試すような——  自分の手元に目を移す。数瞬、考え、そっと二片に千切った。  半分を差し出す。彼は、じっとこちらを見つめたまま、ややあって舐めとるようにジャーキーを奪った。手が涎まみれだ。 「お前さん、草を食むんじゃないのか?」話しかけながら己の取り分を齧る。「肉なんか食って、腹下すなよ」  すると彼は、横目に一瞥してきた。横目も何も馬の目はほとんど横についているので、片目で正眼していると言ったほうが正しいかもしれない。そして、その視線はどうも、微かに呆れているふうである。  考えが改まり始めた。もしかして彼は愚かなわけではないのでないか? なんらかの理由で、たとえば、こちらを見定めようとして、わざとあんなことをしていたのでは……  馬は主人が自身に相応しい器か否かを試すと言う。荷馬がそうするとは聞いたことがないが、馬は馬である。同じことかもしれない。 「旅の道連れなわけだしな」機嫌を伺うように私は言った。「同じもんを食べておくのもいいかもしれない」  彼は、静かに瞬きした。心なしか、合格と思える。  火を見ながら、彼の背に手をやる。優しく撫で下ろしてやると、鼻を突き出した。悪くはないらしい。 「名前が要るな」語りかけ、少し考える。「フレッドはどうだ?」  彼の顔を窺う。彼はなんとなく目をすがめ、耳を倒し気味にしている。もしかして、怒っているんじゃないか? フレッドでなぜいけないのだ——ふと、私は背を起こし、さっきまでもたれかかっていた彼の腰のあたりをよく見てみた。  無言で、座り直す。どう言ったものか、少し悩んで、そっと口を開く。 「……レディだったか……」  フン、と彼女は鼻息をついた。なるほど、フレッドじゃご不満だろう。  お詫びの印にまた彼女の背を撫でながら、星を見上げた。濃紺の空いっぱいに白金の光が瞬いている。焚き火が下から星を照らし、少しだけ暖かく見える。レディ……レディか…… 「一晩、時間をくれ。娘の名前も苦労したんだ……」  呟くと、彼女は尻尾をゆったりと振った。構わないとでも言いたげだ。実際のところは知らないが、とにかく、猶予をもらっておこう。

彼女の背に頭を預ける。ゆったりと、膨らみ、へこみ、と繰り返す腹が、私の体をゆっくり浮かせ、沈ませ、波に揺蕩う気分だ。  目を閉じる。彼女の名前——ソフィアはどうか?……朝、聞いてみよう。


2024.01.08:ソヨゴ

あれ、これが書き初めかも?