寝ずの番に二人、祖父の枕元に座っている。母はより祖父の顔に近い位置で、眠っているのか、何か考えているのか、心持ち私の方へ傾いで、首を垂れたまま凝っとしている。私は薄暗い部屋にそんな母の横顔を窺い、しかし話すのも躊躇われ、黙ったままろうそくを見ている。近頃は形を模したライトで代用したりもするそうだが、古風なところのある我が家では実物を使っていた。しかし、ろうそくといっても瓶詰めのアロマキャンドルなのだから、どちらにせよ風情はない。一晩中灯すことを考えれば、合理的な選択であったが。 ろうそくの隣には線香が立っている。こちらは特別に長い作りで、七時間も保つらしい。なぜ線香を絶やしていけないのか、不勉強で知らなかったのだが、なんでも故人は線香の煙を糧に死路を渡るそうだ。死んでいるから現世の食い物はもはや食べることができないが、極楽へ行くにも旅の糧は要って、その代わりとなるのが煙らしい。霞を食べるなんて言葉もあるが、似たようなものか。 三十代も終わりが見え、母と二人きりの空間は気詰まりだった。母はまだ動かない。だが、どうやら眠っているのではなさそうだ。寝息も聞こえぬし、どこか起きている人の気の張りのようなものも感じられる。何か話すべきか。私と祖父との間には格別の思い出もないが、母にとっては、何せ父だ。気遣ってやるのが道理ではないか。 実際、私はここに着いたとき——通夜の会場である母の実家に辿り着いたときは、きっと気落ちしているであろう母を支えてやるつもりでいた。父は仕事の都合で、どうしても通夜には出られないので、この夜に母に寄り添うべきは子の私に違いなかった。しかし、母の顔を一目見て、私は当惑した。母の顔は、いったいどういう感情を抱いているのか、よく分からなかった。ただ少なくとも悲しみには見えない。薄暗く、静かで、乾いていて、そしてどこかしら、澱んでいた。 わあっと声が聞こえた。引き戸の向こうには、この家の居間があり他の親族が酒を呑んでいる。母と私は寝ずの番によって酒席を免れている。たぶん、叔母や、祖母の姉などが中心となり、酒や肴が供されているだろう。男たちは、座して何もしない。——こういうとき、私は何か私自身にもある原罪を突きつけられるようで、身の置き所がない気持ちになる。できれば叔母たちを手伝って罪悪感を薄らがせたいが、今はやはり母に寄り添ってあるべきだろう。いや、どうか。母は私を必要としているのだろうか。どちらかといえば、私は邪魔をしているかもしれない。母は独りで、ここに居たいかもしれない。 ひとつ、この場を離れることを提案してみようか——そんな思いで母の顔をまた横目に映したとき、母が、溜息をついた。 それは深かった。少し、慄く。母は私のそんな気配には気づかなかったか、頭を上げ、横たわる祖父へ目を移した。その瞳は、激しいものは何ひとつはらんでいなかったが、ただ冷たく、ほとんど無に近いなかにほんのり軽蔑の漂うような、私がこれまでに見たことのない表情だった。
ふと、思う。 私が祖父との思い出をこれといって持たないことには、必然の訳があったのでないか。 思えば私は母が祖父母を語る言葉をほとんど知らない。聞いた覚えがなかった。現代は、家族間のつながりが希薄になって久しい時代で、祖父母との交流がないからといって違和感を覚えることもない。毎年の夏休み、祖父母のもとに帰省している同級生の話など聞くと、そんなこともあるのかと思ったが、だからと言ってうちがおかしいと思いもしなかった。父だって、祖父母について何も語らなかった——父の両親は私が生まれる少し前に亡くなっている。 私は、音もなく唾を呑み、母の横顔を凝視した。祖父を見つめる母の顔は、私にはほとんど耳しか見えなかった。だから私は母がそのときどんな表情をしていたか知らない。ただ、母は言った。 「なんで、死ぬの…………」 吐息のようだった。か細い声であった。だがそれは、弱々しいというわけでなかった。押し殺した、ぎゅっと抑え込んだ、そういう響きだった。私は、子がゆえの直感か、その言葉の意味が分かるような気がした。悲しむでもなく、惜しむでもない、母の言葉。 なんで、先に死ぬのかと。そう言いたかったのではないか。 なんで、——殺してやる前に、寿命で死んだりしたのか、と。
酒宴の声がする。距離は近く、しかし私にはずっと遠くから聞こえてくるように思えた。居間と隔つ、三枚の引き戸が、木材の厚み以上に私と母を閉ざしていた。
2023.08.26:ソヨゴ